かがわ・山なみ芸術祭2018 AYAGAWAは平成30年11月25日をもちまして終了いたしました。多数のご来場ありがとうございました。大きなトラブルもなく終了できたことは、芸術祭に関係した全ての方々の努力の賜物と考えております。
今回の芸術祭は「新原点」をテーマとして、表現者と地域の原点を見つめ直しながら、一部を「ファインアート」二部を「アートクラフトフェア☆そぎもーる」として、二つの異なる性格のアートを連続して開催し、アートをより総合的に俯瞰する試みをいたしました。
人が表現することの意義を問い、人間集団の座標軸のどの位置に、表現が溶着するのかを今後詳細に検証し、より意味のあるイベントにできればと考えている所存です。声の届かないところ、見えないところへの多くのご助力に思いを馳せ、感謝の念を心に刻み、芸術祭終了の挨拶とさせていただきます。
かがわ・山なみ芸術祭2018 AYAGAWA 実行委員長 倉石文雄私たちは進んだ文明こそが幸せをもたらすと信じてきた。しかし、その固定観念を押し進めた結果は、人は自然の一部である事を忘れ、無計画に消費し破壊した歴史であった。それは見方を変えれば、自己を破壊してきた歴史とも言えるのである。その結果を受けて私たちは、あらゆる要素が有機的につながり循環しながら、その一部として生きねばならないことを知り、分離分断の流れに終止符をうながす方向性を見出さなくてはならない。
産業革命前の共同体は農業共同体であり、基本的に自給自足体制を保持していた。産業革命以後、生産労働と消費活動は分離され、職場空間と生活空間が分離され、家庭は消費活動空間に特化した。市場経済、貨幣経済は拡大し共同体的な生活形態とは決別、都市は無秩序に作られ、環境問題や人口問題を引き起こした。生産労働から切り離された家庭内労働は社会から認知されにくく、しかも過重な責任を持った孤立した場となった。生産労働の世界に特化したものは、馬車馬のように働き、動けなくなれば、無下に社会から退けられるものになった。そもそも、その元を辿れば、狩猟採集をやめ、効率よく自分達にだけ都合の良い特定種類の生物を大量生産始めた事が、実質的に自然と人間との袂を分けたとも言える。とは言え、私達はもう原始の時代には帰れない。しかし、過去を食い尽くして後世に引き渡す事は無責任である。これまで私たちを浸食してきた、自然と人との関係に対立軸を作ることで社会を説明してきた哲学が破綻したことは歴史が証明し、今更アメリカ式のグローバル化に夢も希望もないことも自明である。
人が純粋に自己を表現するという行為は、産業革命や農耕や宗教の発祥より、はるかに人類の発祥に近いところにあるものだ。よって現在私たちが目にしているさまざまな目障りな心配事などは包括できるものだと思う。また、それを単純に金持ちになること、有名人になることの手段にしてしまうことは、この世界を汚す行為だ。さらに現代美術は、政治的なメッセージを必要とする意見は多くあるが、大きなイベントほど、資本主義に染まり、その恩恵を色濃く受けている。前記した個人的信条との矛盾は、無視できない。アートは万能では無い。しかし現代という時代の海をくぐったうえで、さまざまな要素を超越した立場に立つべきである。私たちはもう原始の世界に帰れないといった。しかし、表現の世界では、それも悪くないと思う。私たちの中に潜む、表現することの本当の力強さを引き出す機会になればと考えている。その力こそが循環の源となるのである。
かがわ・山なみ芸術祭2018 AYAGAWA
実行委員長 倉石文雄
「かがわ・山なみ芸術祭」は、地元在住の美術家と地域社会が主体となった民間主導によるボトムアップ型の催しである。
香川県には、優れた活動を行っている美術家が数多く住んでいる。彼らは各地で独自のイベントを行い、これらの実践を通して多くの経験を積み重ね、その成果はすでにさまざまな所に現れてきている。
この催しでは、県内で制作を行っている美術家や自主的な地域活動を行っている文化団体を紹介し、そして国内外の優れた芸術活動を行う作家を招聘しそれらを連携させる。そのことで住民と美術家との協働を促し、芸術を軸とした地域の活性化を促す。美術家の活動が香川から世界へと広がっていくことで、地域が大きく飛躍していくことを願っている。